新庄の蚕糸試場は現在、1棟が産直まゆの郷という名の地元農家さんの市場として
常時使われている。自分が高校のとき、親と一緒に野菜を買いに行く場所だった。
いつも車が数台止まっていて、未だにその状態は続いている。
建物だけでなくこの場所は何と言っても景観が素晴らしい。
人が建てた建物より樹木が大きく成長している場所。
大木たちの季節ごとの表情が好きな人はきっと多いのではないかと思う。
近年では、若い農家さんを中心としたマルシェ等で賑わいを見せていて、とても
活気づいている。地域の歴史的な建物を知るきっかけになるイベントにもなっている
のではないかと思う。
自分としては、全国各地の調査に参加させて頂きながら(文化財関係もあった)
地元にもそういう価値を持った建物はあるのだろうなあと漠然と考えていた。
次第に、帰る度に特に用が無くても蚕糸試験場の建物を見に行くようになった。
行く度に、きっと同じような景観は他にないのかもしれない、と思うように
なった。
別の用事で久々に工学院の後藤先生を訪ねたときに、蚕糸試験場の写真を
鞄に入れていった。話の最後にこの建物の話題を出してみようと。
いろんな話をした後で、思い切って、
「一度現場を見て頂けないでしょうか」
と先生に聞くと、
「秋田の増田町に行く用事があるから、そのとき寄るよ」
と快くOKしてくれた。
8月の新庄祭りが終わって町が静かになったときに自分の気持ちは高まって
いた。先生と新庄市役所の方々に来て頂いた。現場では、いつも通りの、建物をずっと昔から知って
いたような、しかもみんなが楽しくなるような解説が始まった。今後のアイデアもたくさん出て、
一生懸命メモした記憶がある。
各建物の雰囲気、各棟を結ぶなんとも言えない長い廊下、木構造、素敵に迎えてくれる大木たち。
既にある価値がどう活かされていくのだろう。
今分かっている価値以上の価値付け(先生が現場でおっしゃっていた言葉)
それから、半年も経たない間に東日本大震災が発生し、被災を受けた地域で後藤先生は大きなプロジェクトを始めていた。先生が東京にいるタイミングで被災地の話を聞きつつ、自分は新庄のこともかなり相談していた。登録文化財にするための建物各棟の意見書は修士論文でも随分お世話になった客員研究員の二村さんが書いていた。卒業してからこういう形でまたお世話になるとは凄いご縁だと思う。本当に有難かった。
2012年に文化財登録され、官報にのったということを新庄市役所の方から連絡を頂いた
ときは、嬉しさと同時にまず親やお世話になった人に早く電話したいという気持ちだった。
翌年、2013年の5月に登録文化財を祝う会という行事が開催された。
後藤先生はいつものペースで、一般の市民の方たちに対して優しい口調で
文化財ってそもそも何か、全国にどれだけあるか、登録するとどうなるか、
活用して成功している町は?等面白い話をたんたんとし始めた。
建築を、あらゆる視点から見ていて本当に面白い、楽しい、
一ファンに戻った瞬間だった。
この光景は学生時代によく見ていたので、地元の新庄でこのシーンを見られることが
夢のようだった。この蚕糸試験場で長年働いていた方が、涙を流しながら、建物が
半永久的に残ることが本当に嬉しいと言っていたことがこの文化財登録に関わって
一番うれしかった瞬間だった。
歴史が長い建物は、同世代の人でも好きな人は増えているけれど、自分も含めて語れる人はまだまだ少ないかもしれない。でも、想像以上に長生きしているだけあって、現地には思い入れ、思い出が深く刻まれている人がいるのだなと思った。
なぜこの広大な敷地に、国の蚕糸試験場が建ったのか、そこでどんな人たちがどんな気持ちでどのように歩んできたのか。
個人的にはそこから明確になっていないし、考えたい。
大学の調査で明らかになる事と同時に、自分自身の疑問も考えていくのが凄く楽しみです。
少し調査が進んだりした段階で続きを書くかもしれません。
最後に松田スタジオさんによる朝焼けと蚕糸試験場の写真をのせて終わりたいと思います。
冨樫さん
ありがとうございます。働いてた方の話、ここを守ってきた方の話は調査が少し進んだ頃に書いてみようかと思ってます。遊びに行ってたときの話も聞かせて下さい。